『感想』山暮らし始末記

2017年8月7日エッセイ・ドキュメンタリー

著者 堀越哲郎
出版社 太田出版
出版日 1999年6月25日
333頁

 

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内容

消費社会の喧燥を脱し、『走らされる前に、歩くんだ』と覚悟して始まった夫婦二人の山暮らし。厳しい環境の中で腰をいため、指に豆をつくりながらも、循環する自然の営みの一員となって山の気で心の根を洗い、湧き水で体を潤す。しかし、人は確実に年をとる。張り詰めた日常にいつまで耐えられるのか。現代人がどこまで自由に歩けるかを真摯に追求した、労働と思索の清冽な記録文学。

(amazonより引用)

感想

この本は、1986年頃から1997年まで長野県の廃村に移り住み、それ以降は山を降りた人によるエッセイです。
この本以降の著者の生活を知りたい場合は、著者のサイトがありますので参考になるかと思います。

全体的に、文章表現が上手いですね
生粋の山の人間でなく東京からの移住者であるからか、山の中の日々の生活が当たり前だと思っていない側の視点を持っており、自然の中の音や光をまるで小説のように書き記してくれています。
読書やロックが趣味らしいので、別の山暮らし人(ソローやナナオサカキなど)からの引用も多く、著者と他者を出来るだけ客観的に比較しようともしているような気がします。
もう今は山を降りた人間だから「辛いことも楽しい!」と思いこんだりするのではなく、辛いことは辛い、楽しいことは楽しいと書いているので、なかなか真実味を感じられる内容だと思われます。

 

著者の山暮らしを始めた動機を引用させていただくと、以下のようでした。

都会での生活を「これは本当の暮らしではない」と見切りをつけて、山に移り住み、都会の暮らしに変わる『何か』を求めて山で暮らし始めた。
それが結局何であり、何が果たされ、何に挫折したのか?その軌跡を里に降りた現在の視点から振り返る形で書いたのが、この本である。(要約)

著者が山暮らしを始めたのは、ちょうどバブルの始めくらい。
日本中が好景気に浮かれていた時だったものの、当時の都心の雰囲気はやはり何か危ういものがあったのだろうと感じられます。


本を読むに著者の略歴をまとめると、以下のような感じでした。

1980年代前半、20代の頃はインドに行ったり都市で勤め人をしたりしていた。
パートナーの萌子とは屋久島で出会う。

1986年、30歳前後のとき村役場の紹介で、標高800m長野県生坂村入山・清水平の、電気もガスも水道も無い一軒家に住む。
その家の以前の住民は、ヒッピー界では有名なナナオサカキ。
家賃は年20,000円
(『生坂村入山』で検索すると廃村探訪ブログがいくつかヒットしますので、現地の自然を写した写真を見ながらこの本を読むと、雰囲気が更に伝わってくると思います)
3年ほど仕事をせずに暮らす。

外国人相手の民宿でも開こうと思って、経済的・飲用水などのことを考えて、鬼無里村にある別の古民家を修復・移住しようとする。

鬼無里村の古民家は修復困難で諦め、水の確保や近くの森の伐採のことなどもあって、1989年に標高1100mを越える長野県高遠町柴平(芝平)に住まわせてくれる古民家をようやく探し出して移住。
こちらは集団離村した廃村であるものの、新住民が何人か移り住んでおり、完全な廃村ではない。(行政上は別として)
囲炉裏もある5部屋の家で、電気と風呂が使えた。
家賃は月12,000円。

1997年、標高600mほどの普通(?)の山村に移住し、廃村(山)暮らしを終えた。
1999年にこの本を上梓した。


最初の清水平の家は、廃村の古民家だったためか、囲炉裏があり全部で6室あるような広めのものだったものの、古くて崩れかけた部屋もあったようです。
山の水を汲み、囲炉裏で沸かし、ランプを明かりとする毎日。
仕事はせずに貯金を少しずつ食いつぶす日々で、日向ぼっこしたり薪割したり、料理したり、ひたすら読書や音楽を聴いたり。
近所に山の仙人のような親切な人がいて、山暮らしの手ほどきを受けることが出来た。
最初は車を持っておらず、200㏄と250㏄のオフロードバイク2台のみ。

ひと月の家計簿をいくつか記録があったようなので見てみると、大体二人暮らしで平均3万円くらいのようでした。(個人的趣味費用除く)
電気ガス水道代無し、家賃は年で2万円、外出も少ないからこんなものだったのでしょうか?
電話線は200m離れた電信柱から這わせて引いてもらったようで、工事代は9000円ほど。

 

鬼無里村移住を考えた時に、二台のバイクを売り払って中古のバンを購入。


柴平での生活は行政上廃村のため、新規の工事が出来ず、すでに電線はきていたものの電話線は引けなかったようです。
こちらでは家庭菜園を行っていたようですが、やはり土づくりが大事で、自分たちの人糞と落ち葉によって良い具合の土が出来たとのこと。
高冷地で空気が乾いていたので、野菜はともかく花やハーブは良いものが出来たようですね。

廃村ではあるものの離村した人々が夏の別荘として過ごしたり、新規に移住してきた人などもおり、少々賑やかな分トラブルもそれなりにあったようです。
ハンターとのいざこざも多く、家の近くでの発砲、禁猟区での密猟、誤射事故などがあり、山は山で都会とは別の人間関係の辛さが感じられます。

流石に柴平に住んでいた時は貯金を食いつぶすだけでは生きてはいけず、色々な仕事を行っています。
高遠の桜祭りの時の窓口業務、短期の土方、宅配便配達など。
継続的な個人事業として、麓で小中学生の塾を経営開始していますが、真冬に柴平に帰宅するのは道が凍結するから危険ということで冬は麓で暮らすようになります。

柴平の標高は1100mもあり、冬の最低気温は-20℃くらいで、水道が一切使えなくなるという厳しい環境です。
そのような冬の厳しさ、そして自分の山暮らしの動機などについて思うこともあり、結局は山を降りることになります。


エッセイなので著者の考えも多くあり、山暮らしの先輩として大変参考になることが多いです。

著者にはパートナーがおり、日々の暮らしのほとんどは二人だけで行っています。

都市ならシングルでもやっていけるけれど、本来的な山暮らしは最低限カップルでなければやっていけない。
というより、毎日の生活を通して、カップルであることの意味を日々問われ続けるのが山暮らしであると言ってもよかった。

やはり一人では実際的に出来ること、山暮らしの動機などについて破綻が来やすいものなのでしょうか。
現在の私は完全に独身ですが、この本を読むと、今のままではすぐに山暮らしが嫌になってしまうのだろうかという推測をしてしまいます。

 

小屋暮らしが少しブームになっている?現在(2010年代)ですが、1990年代から山林に小屋や普通の家を建てる人が多かったようです。
最近の小屋暮らしだけでなく、90年代、00年代初頭の生活記録も読んでみたいものです。

この頃では大変な思いをして空き家探しを重ねるよりも、山の中に安い土地を探して、自分で家を建てる人が増えてきている。
今、山暮らしの主流は圧倒的にこちらの方に傾いてきていると言ってもいい。
(中略)
ぼく個人は辛うじて廃村に空き家が借りられて住んでいたわけだが、もうこんな山暮らしのやり方も時代とともに廃れていく運命にあることは確かだと思う。
(中略)
山の暮らしは家そのものよりも、周囲の環境の方が大事だとつくづく思う。

 

本の終盤、著者の当初の山暮らしの動機も踏まえた、山を降りる動機が書かれています。

(都市市民社会について)破局は近いという予感が、次第に「早く崩れてしまえ…」という破局願望へと変質していくのをどうすることもできなかった。
(中略)
もう山を降りようと決意したのは、やはりあの(オウムの)事件のあとである。
自ら背を向けた市民社会の崩壊を待ち望むことでしかバランスが取れない、そんな廃村暮らしならこの辺が潮時だなと思った。
体力的にも限界に来ていた。

どのような場合、どのように条件が変われば、著者のような動機で始めた人が、厳しい環境での山暮らしを続けられることになったのでしょうか。
山で暮らし続けることが絶対正しいというわけではないし、里で暮らすことが絶対正しいというわけでもない。
著者は著者自身と山村の現況を合理的に考えた上で山を降りたのでしょうが、もしなにがあったら山暮らしを続けられていたのでしょうか?

 


 

実はこの本の著者のように、廃村の家を購入して孤独に住む、というのも私の人生の選択肢の一つでした。(今でもうっすらあるけど)
今は山の中での小屋暮らし+出稼ぎ生活を行っていますが、別の選択肢を選んでいたらどんな暮らしをすることになっていたんだろう?という疑問を少し解消してくれるような本でした。

 

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