荒野を目指した青年は、一人でゼロから始めたかった

山暮らし始末記

intothewild

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始まりは、反骨もあった

「独力で生きていってやる」

そう思い始めたのは、社会に蔓延る理不尽への反抗だった。

 

きっかけは色々あるが、代表的なものは『就活』
新卒と既卒で大きく異なる採用方法、手書きを強要する履歴書、訳の分からない減点方式のマナーとか。
保守的で、碌に考えずに他人に無駄な苦労を強要する社会から脱したい。

他には、「子供たちに教えたい」とか「頑張る人を支えたい」とか言う、支援系の人々も嫌いだった。
「どうして自分自身でリスクを取って最前線に行かないのか?」
「リスクは他人だけに取らせて、自分はその甘い汁だけ吸いたいのか?」
そんなことも思っていた。
だから、自分はそんな人々の一員になりたくなくて、自分自身が仕事の最前線に行くようにしたかった。
公務員を目指したこともあったけど、それは経験値や情報を集めるだけで、一生続けるつもりは当時から全く無かった。

 

そういう訳で、独力で自由にシステムを作っていける『経営者』でもあり、プレイヤーの『職人』でもある存在を最終的な目標にした。

 

好奇心と冒険心に溢れていた20代

大学生の頃、バイクツーリングと登山で、色々な場所に行った。
目的は観光地巡りとピークハントであったが、道中で様々な景色を見た。

自分が全く知らない山奥の辺鄙な場所に、家と生活があった。
「人は、どのような方法でその地で生きているのだろう?」
「どんな想いを抱いて生きているのだろう?」
という疑問と好奇心を、当時から抱いていた。

 

22歳の時、歩き四国遍路の旅に出た。
やはりそこでも印象に残ったのは、その土地で生きる人びとの生活だった。
そして、思った。

「土地に根ざして生きていこう。土と風にまみれて生きていこう」

本気で第一次産業に興味を抱き始めたのは、その頃か。

 

自分は同級生に比べたら、これまで積み上げたことを一切合切捨て、リスクばかりのことをしようとしているだろう。
だけど、

「男たるもの今までの自分を捨ててでも夢や使命を追うべきだ。
『もったいない』に縛られていれば、何一つとして挑戦出来ないし成し遂げられない」

 

時は、活気溢れる20代前半。
様々な啓発の言葉に影響も受けやすい年頃。
可能性と万能感にも満ちていた。

 


刺激の少ない現代生活

いわゆる『普通の暮らし』というのは、自分にとっては、もやや膜のようなもので覆われた、どこか非現実的なところがあった。

「この水は、電気は、部屋は、食べ物は、一体なぜどのようにして、ここにあるのだろう」

一人暮らしを始めた時、旅をしている時には多少、それらの実感が得られた。
しかしまだ足りない。
毎日の水や食料に困るような旅をしていようとも、結局は金を払って他人からもらうだけだ。
だから、自給自足的・自己完結的な生活に憧れ、それをしてみることで更なる実感が欲しくもあった。

 

どこかの農場・家を引き継ぐのも方法の一つだったが、自分の力と命を更に感じたかった青年の時分。

「どうせなら、生活も事業も全てゼロから始めたほうが面白い。
人生は、すぐに安定するより上昇中が楽しいものだ」

 

今を生きることに精一杯なら、人生に迷わないはず

自分は昔から、不安症のようなところがあった。

幼い頃にテスト勉強を頑張ったのは、悪い点を取る不安を取り除くためである。
悪い点を取ったら大きく落ち込み、良い点を取っても喜ぶのではなくただホッとするだけ。
別に親から良い点を取りなさいだなんて言われたことはないが。

そんな自分だから、出来て当然、出来ても大して嬉しくなかったりする。
出来ることを前提として計画を立てているのだから。

こういう性格の人間は、大きな理想や目標を立てても達成しやすい。
しかし、目の前の成功を素直に喜べなくなったりもする、らしい。

 

暇になると不安や焦りを感じる。

『もっと何かをするべきだ。ベストを尽くすべきだ。このまま何もせずに人生を終えるのか』

そういう漠然とした不安に苛まれ、ゆっくりしていると罪悪感のようなものまで感じてしまう。
客観的に見て余裕のある人生を送るようになっても、これからは逃れられないんじゃないのか?

「苦しい環境に自分を落とせば、今を生きることに精一杯になる。
そうすればこの不安を感じる暇も無くなる!」

 

そういう訳で、余裕が無い状況からでも始めて、ガムシャラに頑張りたくもあった。
この人生のルートは青春のエネルギーを持て余していた青年には魅力的に映るのであった。

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