情熱はどこへ消えた?挑戦し続けることの難しさ

山暮らし始末記

burnout

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思い付いたことを何でも試せる

「住居はセルフビルドで、電気はオフグリッドで、水は山水を引き、調理は薪でしてみよう。
普通の生活より難しいけど、やりがいはあるはずだ」

と考え、入植前から具体的な設計を行っていた。

 

多くのことを自分でやる生活は膨大な範囲の知識や技術が必要で、上手くいかないことも多かった。

「案外厳しいな…」

しかしそう思っている間は、必要に迫られて目の前のことに集中できていたし、知らないことを知る楽しさがあった。
技術的な悩みや人生の悩みより、好奇心と探求心が勝っていた。

 

小屋に住めるようになってからは少し余裕が出来、次は「山に有るものを工夫して利用する」ことに心が移っていった。
野生のものに価値を見出し、その価値を交換する(交易)のは難しいだろう。
でもだからこそ、やりがいはあるはずだ。
勝算なんぞもちろんない。

 

情熱が減っていく

しかしだんだん、「山の暮らしとは何ぞや」ということが分かるようになってきた。

何も知らない頃から見ればあれほど神秘的で美しく見えたこの生活、
やり続けていたら『普通の生活』に思えてきた。
「いつ何時でも情熱を持ってやる気に満ちた状態で仕事や生活をしていきたい」
と思っていたけど摩耗したのか消費し過ぎたのか、好奇心や情熱が減っていった。

自由な生活は、抑圧が無いからやりたいことをさっさとやってしまう。
そのスピードにやる気が溜まるのが追いつかなくなる。
以前の自分が定めたことを、やる気も無しにやる割合が増えていった。
そして本腰入れて頑張らない自分を顧みて、「ああ、今日も自堕落に生きてしまった」と後悔する日も多かった。

 

「やる気がないのは一時的なものだ、誰だって100%を維持できるのは難しい。
時が経てば回復していくだろう」

この想いは山暮らし1年目から感じていて、それを解消するかのように『出稼ぎ』へ行っていた。
必要なのは『適度な抑圧』、そしてこの生活が無茶すぎるものではないという『持続可能性(金)』と、それに伴う『自信』だ。

 

正直言って、出稼ぎはかなり良いものだった。

山暮らしより不自由だが、勤務日と休日のメリハリがあり、休憩中でも「何かしないと」という焦燥感が無い。
一時的な生活だから「一生を過ごすのはここだ」と思わず、気楽に、無責任でいられる。
そしてそこで生きている間は、『山への情熱を失ったのではないか?という恐怖』からの逃避にもなっていた。

 

山の利用はなかなか大変だ。辛いこと、やりたくないことだって当然ある。
しかしその苦労も、産物が製品になって販売が出来るようになったら、全て報われると思っていた。
至上の喜びと達成感が得られると思っていた。

確かに、販売はそこそこ面白かった。
でもだからと言って、
「じゃあこのままこのような生活を続けていきたいか?」
と、問われると、大きな違和感があった。

 


この生活は挑戦か、逃避か?

実は、この生活を成功に収めて維持し続ける強い気持ちは無かった。

もし万が一、持続可能的なシステムを完成させたとしよう。
その時、自分の冒険は終わる。
挑戦は終わり、後はただただそのシステムを利用して社会的な価値を生み出して、金を得ていくことになる。
それが一般的な生活だ。
だが、その時の自分は、その生活に面白さややりがいを感じるのだろうか?

難しそうなことに挑戦し、失敗することで成功と幸せから逃避していた。
もし成功して、その時幸せだと感じなかったらどうする?
また新たに目標を立てれば良い。しかし次の到達点での幸福を信じられるか?

 

年を取るにつれ、青年時代が終わりに近づくにつれ、後戻りが難しくなる感じが出てきた。

「いつまで逃避じみたことをしているのか、このまま消耗して死ぬのか」

今の自分の生活はただの逃避だったのか?
確かに、本気で挑戦する人間ならどんどん投資して一気に進めていくことだろう。
しかし自分は金や時間を渋って挑戦からも逃げている。

…この山暮らしがただの逃避でしかなく、このまま死を待つだけなら、俗世に帰るべきだ。
しかしそれもまた、ここまでやってきたことからの逃避ではないのか?

 

憧れと情熱は、確かに存在していた

この暮らしを始める前は、憧れと情熱は確かにあった。

様々な本やテレビ番組を見たり、田舎の方に実際に行ったりしたり色んなことをずっと勉強していた。
自宅では思いついた生活技術を実験したりしていた。
心と経済の持続性を持たせるため、山の利用法を調べて収益が得られるように考えてもいた。

物件も色々と調べて、生活を想像した。
海が良いのか、山が良いのか。
アパートが良いのか、古民家が良いのか、セルフビルドが良いのか。
知識と見識を深めるにつれ、具体的な条件を決めていった。

 

まあ思い返せば、10年近くやりたかった『自然の中で生きること』が出来たのだ。
やりたかったことをやった。
悔いは無い。
青年が抱く憧れなんて、止められるはずがない。

積年の想いは、果たされた。

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