一体感とか臨場感が分からない。協調性と共感性の無い人間だから?

その他

雨の多い2019年のゴールデンウイーク、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

各地で祭りやイベントが開かれてますね。
でも自分は人ごみ嫌いだから、祭りだから行く、わけではありません。
興味のある分野のみ参加してます。

祭りだけでなくて他のことを思い返してみれば、自分は昔から一体感や臨場感を理解できないし、仲間意識を「気持ち悪い」とさえ思うときもあったなあ。

 

そんなわけで今回の記事は徒然と、今までの自分が理解できなかったものを適当に書いて、適当に分析してみます。

この記事に新しい結論とか、知識とかを求めてはいけません!

 

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嫌いなものリスト

生放送は嫌い

テレビの生放送とか、ニュース以外であれらを見ている人ってどういう心境なのか、自分には理解できません。

ニュースなら良いんですよ。
速報性が大事だから。

でもそれ以外のバラエティーとかは苦手です。
生放送ってのはほとんど編集されてないものをリアルタイムで流すことだから、どうしても編集された完成品よりも密度が薄くなります。
「生放送だと何が起こるか分からない」とする人もいるようですが、それって編集されたものを初めて見る視聴者でも、この先何が起こるか分からないし。
楽しんでいるのはむしろ視聴者でなくて制作者なのでは?

 

テレビ以外の生放送としては、YouTubeのLiveとかニコ生がありますね。

これらも、自分は全く見てませんねえ。
視聴者がリアルタイムで何か伝えたり、出演者がそれに応えたり出来るのが売り…らしいけど、別にリアルタイムでなくても良くない?
面白いものを見たことが無いから魅力が分からないだけ、なのか?
もしかしたらシステムを上手く使っている人もいるかもだけど、今の自分としてはやっぱり、編集後のものに比べたら「薄いな」と思います。

会話するだけならチャットで良くない?ダメ?

 

スポーツは見るのは嫌い

生放送で多いのが、スポーツの試合ですね。

子供のころからずっと思ってましたが、どうしてスポーツを見るだけの人が多いんだろう?
自分の家族もそうでしたが、スポーツの試合をテレビで見るってのはほとんど無かったですね。
だって、スポーツって、見るより自分でやるほうが楽しい…よね?

スポーツを見る人は、本当はやりたいけど仕事で疲れているとかその環境が無いから出来ない、ということなのかなあ?
それならまあ理解できます。
自分も登山やバイクツーリングが好きですが、部屋の中で座っている状態から一瞬で始められはしないからね。

 

今まで全く興味を持ってなかったスポーツで、偉業を成し遂げた人が現れたら、どうしてみんなで一斉に上げ奉るのだろう。
その分野に元々ファンがいたけど目立ってなくて、スターが現れたからそういう人の言葉を受け取るようになった、なら分かります。
でも大抵は、君、今までそのスポーツろくに知らんかったでしょ!みたいな人がたくさんじゃない?

そりゃまあスター登場をきっかけにして始めてみるってのなら良いんですが、どれくらいの人が始めて、辞めたのかなあとも思う。

自分がやるようなスポーツなら、上手い人を見て、ああそうするのか、と感心して興味深く見れます。
でも、ルールも禄に知らない・やったこともないスポーツを見る意義は見いだせません。

 


文化祭や運動会も苦手だった

日本の集団行動の育成と言えば「学校」ですが、様々なイベントがありましたね。
例えば「文化祭」とか「運動会」とか。

思い返せば、そういうイベントに積極的だったことは1回も無かった気がします。

まあ色々な楽しみ方がありますし、止めろとは言いませんが、全員参加にする必要あるの?と思う。
運動会は運動が苦手の人にとっては苦痛だし、文化祭では歌を歌わされたりしますが音痴の人には苦痛です。
やりたい人だけでやれば良いのです。
個人の意思に反して全員に強制参加させるほどの意義とか権利は、学校やクラスにあるんだろうか?

まあこんなこと言えば、論理になってない論理で矯正と強制するんでしょうな。
「協調性を養うためだ、この経験は後々役に立つ」(本音;反論するな、考えるな、俺の指示に従え)

 

こんな子供じみたイベントですが、実はこういうのって大人になってもいっぱいあります。
会社のイベントとか地域のイベントとか。

皆で一斉に掃除したりして直接的にその集団の役に立つ、というのなら意義はまあ分かりますよ。
でも、スポーツ大会や祭りとかに全員参加させるのは、「学校」のイベントそっくりです。
もう1回書きますが、やりたい人だけでやれと言いたいです。

「止めてしまうと伝統が途絶える~」なんて言うのなら、途絶えてしまえばいいのさ。
一体今までに、時代の変化によってどれだけの伝統が無くなってきたか理解しているのか?
現代でも飛脚の伝統を絶対残さないといけないのか?
記録や歴史を書き記して残すなら良いですよ。
でも、興味の無い他人に労力を強制してでも残すべき何かはあるか?

 

臨場感や一体感が好きな人は、共感的な人?

上記のような自分が苦手なものを、好きだと思う人はどんな人でしょうか。

ちゃんと心理学を学んでないからただの自分の直感ですが、「共感的な人」だと思うんですね。
他人の意見に賛同しやすく、心配して色々と気にかけてくれる優しい人も多いタイプ。

でも、共感性って社会にとっては諸刃の剣のようです。
分かりやすい現象で言えば、「見て見ぬふり」とか「同調圧力」、「群集心理」などなど。

特に群集心理は様々で、悪いことも頻繁に起こります。
何も考えてないのに他人が批判しているから自分も批判する「ネット炎上」とか、あさま山荘事件とか。
群集が一度とある方向に進むようになれば、その中で反する行動や意見を持てば一斉に袋叩きにあいます。
安倍首相を批判している集団の中で「安倍首相はここはダメだけど、ここはまあ認められるかな」と言ったら、全てに反対する過激派に「お前は極右だ!出ていけ!」とされることもある…のかも(実例は見てない)

 

何にせよ共感性のある人は、イチ集団の中の多数派に属していたくて、他人からの批判に弱いです。
普通を尊び、反対意見は向上のための材料でなく「敵」とみなし、他人の気持ちを分かっている「気がする」人たち。
個性を認めよう!とする集団意見に同調しながらも、深く理解せずに個性を排除する人たち。

共感的な人らは、人と繋がっている(気がする)ことこそが幸せで、だから「ライブ感」も好きなんじゃないかなあと思います。
後で振り返ってみれば他の完成品より質が低かろうと、ライブ感によってその一瞬だけは生放送などのコンテンツも楽しんでいるんじゃないでしょうか。

 

共感性が少ない人の役割

以前MBTIでの性格診断をやってみたのですが、自分はT型(論理型)でした。
これはF型(共感・感情型)と相反するものです。

自分は性格的にも、共感性が少ない。
だから、ライブ感・臨場感・一体感というものに喜びを感じにくい。
そして、集団にブレーキをかける批判的思考の「役割」を持っているのだと思います。

全員が全員共感的・集団的なら、群集心理によって破滅に向かうことだってあります。
学校のいじめで殺人したり、魔女やインテリ層を無残な方法で殺したり。
そんな狂気に苛まれている集団たちに反していくのが、共感性の少ない人たちなのかも。
だから歴史的に見れば、こういう人間も必要だと思えるのです。

 

…と分析してはみるのですが、MBTIのT型は男性に多く、F型は女性に多いです。
だから、群集心理で操作されるのは女性の方が多そうに思えます。

でも何となく、異物の排除に対しては女性よりも男のほうが攻撃的で狂気的に思います。
自分が男社会にずっといたからってのもありますが、無暗に他人に無駄なもの強制するのって、男の方が多いイメージあるよなあ。
実際、どうなんだろうね。
共感的な男は危険なのか、いやいや共感性や協調性は関係なくて、攻撃的な男が危険なのか。

昔の職場の取引先に「人が大事だ!」としょっちゅう言うおっさんがいたけど、反対意見は認めない攻撃的なやつだったなあ。
「仲間」とか「絆」とか言う人に、「嫌々そうじゃないよ」と反論したらどんな反応するだろう?
お前はおかしい!まともな人間じゃない!矯正してやろう!と言ってきそうなイメージあるんだけど、どうなんだろうね?

 

 

以上、自分でもよくわからん記事になりました。

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