山の暮らしと仕事、季節ごとにやろうとしていたこと
秋
山暮らしは秋から始まる。
気温が低くなるから、虫が少なくなるし重労働でも汗をかきにくくて疲労が少ない。
樹木の伐採は秋が良い。葉が枯れ切っていない時に伐れば水が抜けやすく、腐りにくい。
原木栽培のキノコが発生すれば、収穫して出荷。
生で出荷できるものは生のままだが、余ったものやいびつな形のものはスライスして乾燥させたりして加工。
乾燥は、薪ストーブと端材を熱源としたサウナ兼乾燥室で。
伐採本数は忙しさに応じて調整。
薪にするものは6月の梅雨までに加工を終えたほうが良いから。
やっぱり丸太のまま夏を越すとキクイムシが入ってしまう。
コナラ・クヌギ以外の木は、木工材などにして出荷。
最近は「グリーンウッドワーク」という生材を使った野性的な木工が流行りつつあるので、それ用の材に出来そう。
また、「きこりのろうそく(スウェディッシュトーチ)」もキャンパーの間では人気なので、様々な樹種のものを加工して煙の臭いの違いをかぎ分けてもらったりしても面白い。
普通の林業会社なら数mの長尺材として出荷するが、それはその道具があるからそうする。
軽トラくらいしか無い個人でも、数十cmの短尺材なら出荷は出来る。
山林内には枯れ松も多い。
それらは自家用の薪にするだけではなく、採れるなら樹脂の多い「ファットウッド」を採取し、キャンパーなどに販売するのも利用法の一つだろう。
注文があれば、乾燥が終わっている薪を出荷する。
軽トラで運んだり、引取に来てもらったり。
近くの直売所に薪の在庫が無ければ、束にしたものを出品しても良いだろう。
時間に余裕があれば、伐採したコナラ等を薪にしていく。
木寄せはポータブルエンジンウインチで、作業道からは運搬車で。
エンジン薪割機があれば割るのが楽だが、山中で動かすのは大変なので斧で良い。
麓に住むようになったら、原木をそこまで運んで薪割機で割り、ビニールハウス内で綺麗に乾燥。
また、11月15日の猟期開始からは、罠を仕掛けておく。
シカやイノシシが取れば自家用の肉にするのはもちろんのこと、骨や皮も加工して材料や細工物として出荷したりする。
山暮らしでは秋は忙しい。
土木・建築など圃場の整備がしたいだろうが、それらは出来るだけ冬に回す。
冬
冬になるとキノコの出荷がほとんど無くなるので、薪や木工材・木工品の出荷がメインの収入源となる。
隙を見て圃場を整備する。
バックホウをレンタルして一気にやる。
物置小屋を増築したいなど建築したいなら、冬の間にやる。
木工材は自分で加工して木工品にしても良い。
ウッドターニング(wood turning)という旋盤機を使った木工でも面白いものは出来上がる。
角盆などは旋盤が使えないからか、結構良い値が付く。
半分趣味として、木工を業の1つにしていくのも面白いだろう。
年末年始は求人が多いので、住み込みのアルバイトに行っても良い。
ただし、年に1回くらいは帰省しても良い。
2月の節分が過ぎた頃から、原木栽培キノコの種駒打ちと仮伏せをしていく。
害菌と気温の関係上3月末までに終わらせたいので、この時期はこれがメインの作業となる。
伐採と集材が終わって綺麗になった南面の山肌には、山菜の王者「タラノキ」の種根を植える。
タラノキから取れるタラの芽は現在、「ふかし栽培」という細かく切った穂木を水に漬けて生やしたものが多く出荷されている。
しかし先端に少しだけしか付かない「露地栽培品」は収量は少なくなれど、味は格別である。
ふかし栽培品より良い値が付くだろう。
タラノキは育ちやすく、タラの芽は害虫の少ない早春に収穫が出来る。
草刈りとちょっとした施肥くらいで育てられるので、広大な伐採跡地で粗放的な栽培、農業と林業の間のような手法で栽培が出来そう。
冬は、その種根の植え付けなどを行う。
春
暖かくなってきた春、薪割り以外の重労働は少なくなる。
椎茸とタラの芽が生えてくるので、それらの出荷に追われることになる。
仮伏せが終わった椎茸のほだ木は、しかるべき場所に本伏せする。
シーズン中に終わらせておきたいことは悔いなく終わらせておく。
夏に備えて仕事を探したり、旅行の計画を立てたりする。
獣に食われそうにない野菜を植えて夏を越させ、次の秋に収穫する。
夏
夏の低山で気持ちよくやれることは少ない。
気分転換にもなるから、夏はやはり出稼ぎや旅行がメインとなる。
出稼ぎ先は、標高の高い高山、海水浴客向けの旅館、北国、クーラーのある工場など。
金に余裕があるなら思う存分長期旅行しても良い。
日本アルプスの縦走、北海道ツーリング、海外旅行、何でもアリだ。
やろうと思えば1年の内数か月も自由時間がある。
こんな暮らしは普通のサラリーマンではやれない。
山小屋暮らし
山小屋を建てて暮らす、というのは憧れはあったものの、移住当初から
「ここでは一生は過ごさないだろう」
と思っていた。
家族を持てば麓の古民家で暮らし、この山小屋は「休憩小屋」とか「漢の隠れ家」的なものにしようとしていた。
しかしそれまでは、一人なら低コストで住めるこの山小屋暮らしを続けようと思っていた。
実際、一人暮らしなら6畳くらいで十分。
1人で大きな家に住んだって、管理が大変なだけだ。
以上、こんな感じで1年を過ごしながら、一生暮らしていけるだろうと思っていた。
このような生き方は、高度経済成長期以前の山暮らしを知っている人なら珍しくないだろう。
しかし年齢的にも地域的にも隔たりがある自分にとっては、非常に神秘的で憧れがあった。
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