雪の日に年を想う 2017年

その他

今年も雪が降ってきた。
故郷は雪の降らない場所だったから入植当初の2016年は雪を見てどこかしら昂ぶりを感じた反面、積雪時の日常生活はどうなってしまうのかと不安を覚えたものだ。
確かに雪が積もると自分の所持しているNC750sでは麓に降りることが出来ない。
いつでも山から降りても良いという自由が無くなってしまったわけだが、しかし結局雪の山籠もりに大きな問題は無かった。
一度行政上の手続きの関係上降りねばならないときもあったが、片道2時間歩行するだけであった。
今の社会では確かに2時間は長いかもしれない。
だけど昔だったら?
町に片道一時(いっとき)ほどで降りられるなんて、すぐそこの範疇なのではないだろうか。

少し話が反れてしまったが、まあつまるところ自分は不便で苦しいと思われる生活をしているかもしれないけれども、ちゃんと活力的にその場その場の問題に対処しながら生きていられている。
不便とは不自由ではない。
私には様々な問題に直面し、対処していく自由が与えられている。

金は多くのものとサービスに交換できる。
何故人は金を追い求めるか。それは他人が作ったものやサービスを得られる権利と自由を得るためだ。
しかし将来の『曖昧な』自由と権利のために、今苦しむ必要があるだろうか。
自分の望む確かな自由が待っているならいい、だが今を浪費して将来の不確かな自由を得ようとするのは何かおかしいと思えないだろうか。
未来がどうなるかは誰にもわからない。
30年前の人間が今を確かに予測出来ただろうか、今の人間が30年後を確かに予測出来るだろうか。

 

雪と重い空は音や光を吸収するようで、山小屋も薄暗く、静かだ。
そこでの生の活力は少なくなってきたが、そのような時こそが自分の心の深淵、大自然の懐の深さをまざまざと感じることのできる良い機会である。
こんな日はゆったりとお気に入りの音楽を聞きながら、セピア色にあせた古い本を読む。

 

 

 

などとどこかのアウトドア雑誌に載ってそうなかっこつけたことを書いてみようと思いましたが、なかなかうまくいきませんw
ていうか最近全然雑誌読んでねーわ!
まあ実際の生活はネットラジオのAnimeNfoとか聞いてたり、dアニメストアで最新のアニメ見てたり、キズナアイちゃんのバイオ実況見て一緒に「○uck!fuc○!」言ってたり、飯は適当な食材をぶつ切りして中華鍋でちゃちゃっと炒めて適当な調味料ぶっかけるだけだったりと、高尚な雰囲気は皆無な低俗生活ですね。
山小屋で仙人みたいな暮らしをしているというではなく、案外普通な現代人の生活を送っているように思いますよ。

相変わらずこの小屋内の気温は1~5℃程度となっており(小屋内水分量の凝固熱により氷点下には下がらない?)、理論上肉の常温保存も出来るようですが服を着こむと結構暖かく感じます。
こんな状態でも冷蔵庫の中と同じだなんて不思議な気分。
人間は慣れるものです。
もう一度言います。慣れるもんなんですよ。
逆に言えば、「薪を燃やしたりして日々の生活を送りたいわ」という気持ちを持ってこのような山林生活を始めたとしても、結局慣れてしまって、言い換えれば飽きてしまう可能性も大いにあるのですね。
山小屋での日常生活は普通に行えるもののやはり現代的な生活のほうが楽ではありますから、支払うべき対価がほぼ同じであり生活様式に飽きてしまったならば、結局は山暮らしではなくて楽な町暮らしを選ぶ人が多いのではないでしょうか?
小屋のセルフビルドは確かに新築一軒家を建てるよりもハードルは低いですが、合理的な生活を送れるかというとそうでもないです。
ですのでこういう生活を続けられる人というのは、こういう生活がものすごくしっくりくる少数の人か、何かしら目的のある人のどちらかなのではないでしょうか?
続けたいのならば、動機はあればあるほど良い。これは何をするにも同じですがね。

 

2017年は窓とドアの無い真冬の小屋暮らしから始まり、暖かくなってきたら人生初の出稼ぎに出て、人生初の個人事業に挑み始めました。
2018年も自分の考えているシステムの構築を進めていきます。
事業収益が発生するのは早くても2019年となりますから相変わらず赤字が続きますが、出稼ぎなどで食いつないでいくつもりです。
いや、「出稼ぎで食いつなぐ」と書くと苦労しているような印象を受けてしまいますが、昔の人は農閑期に出稼ぎするのが普通だったし、後腐れなく色々な仕事を経験出来るし、久しぶりに現代的な生活をしてみるっていうのも飽きが来にくくて楽しいもんだと(今は)思いますよ!
開拓や変化の余地はまだまだ残っており、環境がいつ安定するかは皆目見当もつきません。
しかしこうやって自分の思うどおりに、自分の力の限り環境を自在に変化させていくのは何だか楽しいものです。

この山林は現地見学一発目で決めた土地であるにも関わらず、案外「早く引っ越したい!」と思えるくらいの不満はありません。
おそらくこの山林を『終の棲家』として思っていたならもっと不満が出ていたでしょう。
終の棲家を探そうとするとどうしても完全無欠の土地を探そうとしてしまうかもしれませんが、そんなものは完全無欠の人生と同様有り得ないものですから、「とりあえずやっていけそうだ。駄目なら辞めよう」くらいの気で決めちゃえば良いんじゃないでしょうか?
「いつかは引っ越してやろうと思っていたが、結局30年も同じ場所で住んじまったぜ」なんてハードボイルド(?)なセリフも将来は言えるかも?

 

 

コメントや拍手ありがとうございます。
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この文章を読んでくださる人々の新年が良いお年になるよう、心からお祈り申し上げます。

 

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