山小屋から便利な街の暮らしへ…しかし何か物足りない

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電線・水道が通っていない、自作した山小屋の中で暮らしているYUです。

毎年夏になると山から降りて出稼ぎしており、2019年は防府のマツダ工場で働いていました。
出稼ぎ中は寮暮らしとなるのですが、もちろん水道も電線も通っており、草刈りや道の整備をする必要もありません。

 

今回の記事では久しぶりの街での生活への印象と、その生活を続けていると起こった気持ちの変化についてを書いていきます。

 

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寮暮らしは快適で便利

寮暮らしは、山小屋暮らしより考えるべき・やるべき作業が少なくて楽です。

  • 金を払えばすぐに暖かくて美味しい食事が出てくる
  • 生活設備は全て既に揃っている
  • トイレ・風呂・洗面所など、共有設備は掃除する必要も無い
  • 草刈りなども必要無し
  • 空調あり
  • 電気・水は使い放題
  • ゴミの処理が簡単

オフグリッドの山小屋暮らしなら全部自分でやらないといけないし、電気や水の量も頭に気にしておかないといけません。
ダラダラとしてたらすぐに荒れ果てて山小屋に住めなくなってしまいます。

対して、寮だとそんなことはありません。
仕事をすると確かに疲れますが、生活を送るだけではほとんど疲れません。
休日になったら食料の買い出しをしますが、それと仕事以外では外に出る必要は一切ありません。
寮の中で生活を完結出来ます。

休日になると、旅行に行ったり図書館で本を読んだり、散歩したり。
それ以外の余暇の時間は、自室内に籠ってダラダラと読書・ブログ・ゲーム・ネット・テレビ。

 

街の暮らしは安心感と変化がある

街に住んでいると、大抵のことは他人や行政がやってくれるし、催し物も多くて生活にちょっとした刺激もあります。

どんな所に行っても人はいて、活動しています。
当たり前のことなのに、来た当初は安心感とかを感じました。
街には色々な人がいるから、いつもとは少し違う店とかに行っていつもとは違う物を買ってみたりも可能。
そんなちょっとした変化や刺激で自分を満たせる人生こそが、安寧なのかもしれない。

寮の自室で久しぶりにテレビを見ていたら、たまには良いもんだと思えてきました。
山小屋の中でネットで通信するよりも思いがけない雑多な情報が入ってくるから、世間と関わっている感じもあります。
自分だけの世界には、やっぱり何かが足りないです。
その何かとは何でしょう、外からの刺激でしょうか?
昔の集落とかもそれが足りなかったから、頻繁に寄り合いをしたり祭りをしたりしてたのかも。

 

少なくとも1か月くらいはこうやって、寮暮らし・街暮らしを謳歌してました。
「これが、自分の幸せなんだろうか?」とも思ったり。

 


「何も起こらない」という不安

しかし、夏頃になると特に何とも思わなくなりました。

不便な生活同様、便利な生活にも慣れてしまうものです。
ありがたさは薄れて、無味乾燥に思えてきました。

 

YU

ずっと同じことの繰り返し…虚しい。

 

単調で季節感の無い工場労働も相まって、飽きと虚しさがやってきました。
せめて仕事だけでも面白みがあればまだマシですが、毎日同じ作業で、残業が多くて体力を使って、平日は身体を休めてたらすぐに次の出勤時間…
雇われ仕事だから気分・体調・天気で仕事を休むのは難しく、変動があっても同じ結果を出せるようにひたすら安定を図る毎日。

 

YU

これが『安定した幸せな生活』なのだろうか?

何十年もずっと「自分は何をやるべきか、信じられる道とは?」と思い悩んでいた。
しかしこの生活がその道であったとしても、歩み続けたいと思っているか?

 

続けていれば、生きるのには困らない。
金も安定して貯まって、自営業のように損をすることも無ければ、やり繰りに頭を使う必要も無い。

 

でもやっぱり、虚無感を感じてしまいます。
生存への不安は無いけど、『何も起こらない不安』があります。

普通、不安ってのは「何かが起こって今が変わってしまうんじゃないだろうか?」ということに対して感じるものです。
しかし寮暮らしの工場労働では「このまま何もせずに年老いて死ぬのだろうか?」ということに不安を感じるのです。

 

抑圧された日々が、新たな自由を求める情熱となる

2019年の6か月間、マツダで期間工として働いている間でも色々と考えや見方は変わりました。

最初はなかなか良い暮らしと思っていた時もあったけど、だんだん無味乾燥になり、楽しみを持ち続けることが難しくなってきました。
「山小屋に帰ったら何をしようか」と考えられていたから耐えましたが、そういう自由や将来への希望が無ければ厳しい。

 

正直に言うと山小屋暮らしをしている時、
「山の中で一人で生きていこうとするのは心細いから、理不尽をこらえて組織の中で生きていくのも良かったんじゃないか?」
「団体職員を辞めなかったほうが良かったんじゃないか」
と思った時もあります。

でも改めてサラリーマンになったら、やっぱり辞めたくなって山小屋暮らしを始めたくなったのです。

 

なぜあの時、あの選択をしたのか。
そのことを覚えておきたい場合、こうやってその当時の気持ちをブログとか日記とかで良いから記録しておくのが一番です。
人間は、すぐに忘れてしまうから。

 

 

僕はこうやって人生に変化をもたらしながら、一抹の後悔も感じながら「あの頃もそれはそれで良かったね」と思って生きていきます。

また来年になったら、この防府での生活にも哀愁や郷愁を感じるのでしょうね。

 

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