この生活に至るまで~小中高生の頃~

その他

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DASH村

広い意味での「田舎暮らし」に興味を抱いたきっかけは、やっぱり鉄腕ダッシュ内にあったかつてのコーナー、「DASH村」だったと思います。
田舎暮らしを扱ったコンテンツは他にも色々あったと思うのですが、これが他と異なるのは、0から始めたということと昔ながらの知恵を最大限に活かしているということ、大金を払って現代技術でゴリ押しはしないことでしょうか。

このコーナーに出てくる技術や生活様式はどれも素晴らしいものですが、やろうと思えば自分たちでも始められそうなとっつきやすさも魅力の一つでしたね。
農業や建築素人のTOKIOが先人たちや文献などから一つ一つ学びながら自給自足を叶えるために挑戦していく様子は、本当に素晴らしいの一言。

また、鉄腕ダッシュという番組は失敗を隠さずに積極的に公表し、どうすれば良かったのか、何に原因があったのかということを明確にしようとするのも良かったです。
全て無農薬で栽培しようとしていた中で稲の伝染病が収まらず、やむを得ず現代の農薬を使ったのも、その苦渋の選択ぶりをまざまざと見せてくれたのはドラマチックです。
そんな彼らに対して「信念を曲げた敗北者」などと言えるだろうか?

そのコーナーを見続けて以来、私は「田舎のほうで昔の知恵や新しい技術を活かしたりしながら、創造的に生きていきたい」と思うようになりました。

ただ、あまり自給自足に強いこだわりや願望はありませんでしたね。
自分が食べるものを自分で育てるというのは面白いですが、全ての食材や道具を自分で作るということに関しては「そこまではする必要は無いかな」と感じていました。
もちろん完全自給自足を目指している人をディスっているわけではありません。
単なる方針の違い。

栽培や飼育自体は昔から好きな方だったと思います。
昔飼っていた猫やハムスターや観葉植物の世話は家族の中でも自分が良くしていたほうだった気がする。
どれも親や姉が家に持ち込んだものでしたがね。
猫に頭を舐められまくるという珍事もあったなあ…
ザリザリしていてぇ!
母から根元が残ったネギをもらってプランターに植えてみたり、米のとぎ汁は栄養になるということで花壇に撒いたりしたこともあったか…
懐かしす(´・ω・)

 

素敵な宇宙船地球号

小学校高学年くらいから環境問題に対して興味を抱き、将来はそれらの問題を解決できるような職業に就きたいと思っていました。

きっかけは不確かですが、小学校で習ういくつかの環境問題のこととか、夜11時くらいからやっていたテレビ番組「素敵な宇宙船地球号」を見始めたから…だったような気がする。

この番組は色々な環境問題を扱ったドキュメンタリー番組であり、2009年に放映終了となったので現代では知らない人も多いかと思います。
この番組を見続けたおかげで当時の世界中、日本国内の環境問題の大体を知れたと思います。

ただ、とある絶滅危惧種を保護しようとする活動そのものにはあまり興味を抱かず、絶滅を免れるために人間社会を具体的にどのように改善してくべきか、ということに注目していたように思います。

今でも覚えているし視聴している時で最も印象的だった回は、「砂漠のオアシスの循環型ライフスタイル」です。
内容を事細かに覚えているわけではないのですが、確か牛の糞なども資材として利用したり肥料として利用したりするなどで一切ゴミを出さず生活し、その結果人間が住むようになってからは住まない時よりもオアシスの緑が広範囲に広がっていったそうです。
人と自然がお互いを高めながら調和した生活を送るということ、幼心の私でも「これが理想だ」と思うことが出来ました。

以降しばらく実感は湧きませんでしたが、自分は自然だけ・人間社会だけと関わるよりも自然と人間の両方を繋ぐようなものに対して潜在的に興味を抱くようになったと思います。
その思いは今でもあるし、今でも目指しているし、おそらく死ぬまでそれを叶えようとするライフワークにしていくのかなと思っています。

 


アウトドア

中高生の頃は上記のテレビ番組の影響から土の上で色々とやってみたいという思いを持つようになりましたから、庭の無い実家に住みながら「広い土地が欲しい。誰からも束縛されることなく、自由に使える土地が」と思っていました。
でも家から遠く離れて大自然と触れ合うようなことは少なく、勉学とアルバイトと娯楽(ネット、漫画、ゲーム)に励んでいた典型的な陰キャラになっていましたがねw

バイクの免許と購入は高校に内緒で16歳に取ったのですが、これは父が乗っていたということと父の友人が格安(5万円くらい)で250㏄のバイクを売ってくれるからという理由だけであって、一人で自然の溢れる山の方に行ってみたいとかそういう思いは無かったと思います。
たまに両親とツーリングに行ったりキャンプに行ったりしたのですが、なかなか面白いと思っていたので、インドアだけでなくアウトドアな指向も昔からちゃんとあったのかなと今では思います。
自分から積極的にやることは当時は少なかったのですが。

 

高校生活と受験

高校は実家から最も近いところのものを選びました。
一応進学校のカテゴリに入るものでしたが、定員360名のこの高校受験で落ちるのは毎年2,3人くらいのようで、まあほとんどの人が入れるようなものでしたね。

そう言えば確か高校の時にも職業研究みたいなものがあり、生徒が一人一人なりたい職業をアンケート用紙に書いて、その業界の講師を招いて仕事内容を説明してもらう、なんてイベントもありました。
自分はその時「農業」と書いたのですが、何と自分以外にそう書いた人はゼロでした!
一応農業でも名産のある地域に住んでいたはずなのですが…
しかも進学校なのに「アニメーター」に負けるとは!
自分の少数派っぷりはこの頃から大いに実感するようになりました。
担任の教師からは申し訳なさそうに「すまんけど農業は少なすぎるから別の職業選んでくれんか」と言われ、仕方なく「公務員」と書きました。
公務員の業務説明会は、盛況でした…

 

将来は環境問題を扱う学者になろうと思っていたのでどこかの大学には行ってみたいと思っていましたが、大学の志望校選びではオープンキャンパスなどに行くのには面倒がって、ただ自分の偏差値に合ったところでかつ「環境」という言葉や意味が入る学科を目指してみることにしました。
「どうせどこに行っても同じだろう」と思っていたのです。

家が(今も昔も)貧乏だから私立大学に行く余裕が無かったため、国公立のみ受験し、センター推薦で合格しました。
「どこにも入れなかったら、北海道で農業するか」と本当に思っていました。

 

長くなってきたので大学生活と林業と小屋暮らしの記述は次回とします。

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